広島東洋カープの堂林翔太選手が新井選手に弟子入りし護摩行に挑戦し、覚醒なるか!!

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堂林翔太
出身地 愛知県豊田市
出身校 中京大学附属中京高等学校
生年月日 1991年8月17日(25歳)
身長183 cm、体重 83 kg
右投右打
ポジション:三塁手、外野手、一塁手
プロ入り :2009年 ドラフト2位
初出場:2012年3月30日

2017年1月11日、鹿児島の最福寺にて広島東洋カープの堂林選手が初の護摩行に挑みました。
護摩行は壇に本尊を安置し護摩木を焚いて、2mを超える燃え盛る炎の前で願をかけることで精神統一、精神修練を図る修行の一つです。
プロ野球選手にとってメンタル強化は非常に重要な要素であることは確かですが、さて、この護摩行によって彼が得られるもの、その背景はどういったものでしょうか。

今回、堂林選手が護摩行を敢行した背景には2016年のMVPプレーヤー新井選手に弟子入りしたことがあります。
カープの大先輩である新井選手が毎年敢行することでも知られるこの護摩行ですが、新井選手が初めて行ったのが2004年です。新井選手の場合、1999年のルーキーイヤー以来、2002年の4年目まで成績は右肩上がり、2002年には全試合出場を果たします。
しかし、2003年は打率も.236まで落ち込み、その状況打開に挑むべく敢行したのが2004年からの護摩行での精神強化でした。実際、2004年自体はそこまでの成績を残すことができませんでしたが、翌々年である2005年は43本塁打を放ち初の本塁打王に輝き、以降カープの4番として君臨しました。

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道林選手のこれまで

さて堂林選手のここまでを振り返ってみましょう。
元々高校時代は主砲であると同時に夏の甲子園優勝投手まで務めた堂林選手ですが、プロに入って完全に野手転向。2年目までは2軍で経験を積ませる形でしたが、3年目の2012年当時の野村監督の方針で1軍で徹底的に使われ、全試合出場を果たし、14本塁打をマークしました。三振・失策もリーグワーストの数字でしたし、先行投資としての起用だったことは明らかでしたが、それでも未来の主力として堂林選手は他の若手よりも頭一つ以上抜けた期待を球団から受けていました。
しかし、翌年からの成績は右肩下がり。結局、チームは25年振りの歓喜に沸いた昨年でしたが堂林選手の成績は47試合出場の2本塁打、打点も2だけという実に寂しい結果となりました。
その間に後輩である鈴木誠也選手の大ブレイクだけでなく、サードのポジションには差をつけていたはずの安部選手がキャリアハイの成績を収めたことで立場的には非常に苦しいものとなったのが実際です。

今の堂林選手には日本ハムの斉藤投手と立場的にかぶる面もあります。
球団から高い期待を受け、その潜在能力に誰もが一目置きながらも粗さがいまだとれず、埋没しかけている状態です。
新井選手の若い頃とイメージがかぶる所がある反面で、新井選手が持っていた泥臭くも一歩一歩前に進み続ける力強さが欠けているところがあります。

道林選手コメント「変われると思ってここに来たので。もっと泥くさく。今年は気持ちの面でも泥くさくやっていきたい」。(デイリー)

と、ご自身でも自覚しているようなコメントをされています。

今年の護摩行で今までのその甘さを払拭し、ついに大器が覚醒するのか。
いよいよキャンプインまであとわずかです。ガンバレ道林選手!!

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