ソフトバンク飯田優也!豪快なフォームから投げ込む鷹のリリーバー!

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
スポンサーリンク
%e9%a3%af%e7%94%b0

ソフトバンク飯田優也!山田大樹や千賀滉大、育成枠から層の厚いソフトバンク投手陣で主力まで上り詰めた彼らに続き、年々存在感を増しているのが飯田。高校・大学と決して有名選手では無かった彼が今やリリーフ陣には欠かせない存在になりつつあります。そんな期待の左腕について、今回は色々と纏めてみました。

スポンサーリンク

【簡単なプロフィール】

名前:飯田 優也

出身:兵庫県神戸市

生年月日:1990年11月27日生まれ(25歳)

身長体重:186cm85kg

守備位置:投手(左投げ左打ち)

出身校:神戸弘陵→東農大オホーツク

「飯田優也」の画像検索結果

【経歴プロ入り前】

小学校から野球を始め、桜の宮中ではマック鈴木らがOBであることでも知られる強豪・神戸須磨クラブに所属。

地元で甲子園出場・プロ野球選手輩出の実績もある神戸弘陵に進学するも、高木翔平・栗原雅嗣という二本柱を擁するチームにおいて最後まで控え投手。背番号13で臨んだ最後の3年夏も、リリーフによる1試合のみの登板でした。チームも東兵庫大会決勝まで進むも甲子園出場は果たせず、高校時代は全く注目されることはありませんでした。

大学は遠く離れた北海道・東農大オホーツク(当時は東農大生産学部)へ。

1年春からリーグ戦に出場して実戦経験を積むとともに、大学では遠征費捻出のためにホタテ漁やパン工場のアルバイトをこなしながら野球に打ち込んでいきます。

2年秋にはチームが明治神宮大会出場も、初戦敗退で飯田自身の登板もなし。

3年春のリーグ戦を制し、2季連続の全国となる全日本選手権に出場。初戦の横浜商科大戦で3点リードながらピンチの場面で全国初登板。2点タイムリーを許し、期待には応えられなかったものの1点のリードは守って交代。次戦の慶大戦では先発するも、先頭から2者連続の四球にタイムリーと1死も取れないままに降板チームも初回の点差をひっくり返すことができず敗退となりました

4年間でリーグ通算10勝と飛びぬけた数字は残しておらず、同チームではエース・陶久亮太(現・セガサミー)の方が知名度は高かったのですが、プロのスカウトの前で好投を見せていたこともあり、密かにマークされていたようです。

ドラフト会議では、育成ドラフト3位でソフトバンクが指名。兄・一弥(現・ソフトバンク ブルペン捕手)との兄弟バッテリーが実現か、という話題にもなりました。

【経歴プロ入り後】

1年目は3軍スタートも、2軍に昇格しファーム公式戦で20試合に登板。代役ながらフレッシュオールスターに出場し、オフにはプエルトリコのウインターリーグにも参加、いずれも結果を残しました。

2年目は早くからファームの先発として好成績を残すと、5月に支配下登録を勝ち取ります。6月の交流戦・中日との試合でリリーフとしてプロ初登板、1イニングをパーフェクトという堂々の投球。同月の横浜戦で初先発し、5回まで無失点も6回に制球を乱し連続四球を与えたところで降板。後をうけたリリーフが逆転を許したことで敗戦投手に。

7月末の楽天戦で当時ルーキーだった松井裕樹に投げ勝ち、6回無失点の好投でプロ初勝利。最終的には2勝5敗ながら、交流戦以降は大量失点も無く、防御率も3点台前半という数字を残しました。

3年目は先発から一転、リリーフとしてオープン戦から起用されて結果を残すと、初の開幕1軍スタート。当初は失点を重ね負け投手にもなりましたが、1軍に再昇格した夏場以降は徐々に安定した投球を見せ、信頼を得ていきます。ペナント後半の9月には12試合を投げて失点1という活躍を見せるなど、チームの左腕では最多となる35試合に登板。チームのリーグ連覇に貢献しました。

4年目の今季も開幕から1軍、リリーフとして登板を重ねています。

【特徴や魅力】

巨体から勢いよく振り下ろして投げ込むボールの威力で、一軍打者にも真っ向勝負が挑める左腕です。140キロ台中盤~後半に及ぶ速球を軸に、スライダーやプロに入ってから習得・磨きをかけてきたチェンジアップを交えて空振りを奪えるタイプ。

学生時代は制球面が課題で自滅するケースもありましたが、プロでは自分のフォームで自分のボールを投げ込むというところに重点を置くことで、アバウトでも自滅するようなことは減りました。

複数イニングのリリーフもこなせるということで、首脳陣としても使い勝手の良い投手ということも言えそうです。

【まとめと将来について】

ボールの威力は勿論ですが、その清々しいまでの腕の振り・投げっぷりには気持ちの強さがはっきり表れていると感じます。

まさにリリーフ向き、といった投手ですが今後更に大事な場面を任される投手になっていくために越えなければいけないのは、「森福允彦」という壁でしょう。

同じ左腕でも全く投手としてのスタイルは異なりますが、まさにリリーフ職人、数多くの修羅場を潜り抜けてきた男から学ぶべきことは多いように感じます。ボールの威力・攻める気持ちに加えて、いかに任された仕事をこなし続けていくのかというところが身につけば、リリーフ左腕の1番手としての役割も見えてくるのではないでしょうか。

エリート街道とは程遠い道程でここまで這い上がってきただけに、今後ももっと上へ上へと目指していってほしい選手です。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする